10年片思いした人を亡くした人のブログ

ブログ主はバイセクなので好きだった人も自分も男です。あんまり良いことは書いてないです。ブログ主はニートなので見ててイライラすることが多々あると思います。

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葬式のときになんか「運命だったのかもしれない」みたいなことを言ってる人がいた

僕は運命なんてないと思ってる

というより、そんなものがあって欲しいとは思わない

1つの例えだけど、僕が部屋にあるゴミをゴミ箱に上手く投げ入れたとして

それは結局のところ色んな物理法則とか僕自身が投げる位置をコントロールしてそれに従っただけで、べつにゴミがゴミ箱に入る運命なんてものはないのと一緒だと思う

もし、このゴミにゴミ箱に入る運命があるとするなら

まずそのゴミは色んな工程を経て製造されて、僕や家族の誰かが購入して、僕がそれを消費した上で部屋に持っていき、いつのまにか目の前に置いていて、ふと運命とは的なことを考えて、さらにブログに書こうと思い

というようにこんなに多くの流れがないと、ゴミは運命的にゴミ箱に入ることはない

これがもし人間なら、人間はもっと複雑で能動的だから、ほぼ全ての行動が運命によって、制限されてるだろうし、意思すら制限されてておかしくないと思う、もしK君がそういう運命だとしたら

彼が僕に優しくしたことも運命のために作り出された1つの行いになってしまうし、彼に優しくした人も同じだし、色んなところが自分の意思ではなくて、何か1つの目的のために動いたことになると思う

僕はK君が僕に優しくしてくれたのは、彼の意思がそうさせたと思いたいし、そう感じる

また彼に優しくした人も、K君の人格やその相手の人格によってそうさせたと思う

何か神秘的な力だとか不思議なことによって、引き起こされたことではなくて、K君が良い人だったから、彼は人に好かれたし、僕も好きだったと思う

運命的に見えるものがこの世にないわけではないけどね

ただそれは偶然が重なって1つの形に見えるだけであって、ほとんどのことは何かの偶然が重なって出来たことだと思う

それは雲の形が何か動物や食べ物やそういうものに見えるようなことと同じで、色んなことが相まって1つの形に見えてしまうようなことだと思う

僕は葬式のときに「運命云々」だとかそういうことを聞いてそんなことを思った

優しく知的な人だった

それは彼の努力や苦労の形であって運命なんかではないと僕は強く思う

 

Final Distance

宇多田ヒカル - FINAL DISTANCE - YouTube