10年片思いした人を亡くした人のブログ

ブログ主はバイセクなので好きだった人も自分も男です。あんまり良いことは書いてないです。ブログ主はニートなので見ててイライラすることが多々あると思います。

246(川崎殺傷事件「1人で死ね」について)

最近、川崎の殺傷事件で「死ぬなら1人で死ね」という意見が当たり前のようにまかり通ってる

本当に正直観てるだけで嫌な気持ちになるくらいクソみたいな意見だと思う

そもそも、もし犯人が孤独に死ぬことが嫌で巻き込んだなら、孤独の解決こそが問題の解決や次の事件を未然に防ぐ方法であって、「1人で死ね」などという孤独を助長するような意見は悪化させると言っても過言ではない意見だと俺は思う

こんなことを言うと、「お前は加害者側に立つのか」や「被害者に寄り添っていない」などの意見をもらう

これについても俺から言わせたら全く意味がわからない

別に加害者のやったことを擁護はしてない

加害者のやったことを前提に、このような事件が二度と起こらないようにするには、社会が孤独にさせないように何かしらの手を打つべきだという意見を自分は言っているし

被害者についても、被害者の遺族がもし「1人で死ね」などという意見を持っていても、俺はそれを否定はしない

重要なのは、大多数の人間は被害者ではない

傍観者、第三者だと思う

それらの人は、冷静に物事を見れる目を持っている

だからこそ、「被害者の気持ち」ということを盾に自分の意見を構成してはいけないと思う

そもそも被害者や遺族は果たして本当に代弁者達と同じ意見を持っているのか?という疑問は拭えない

さらに「じゃお前の家族が殺されたら?」なんて意見も出てくるけど

俺は当然のように犯人を恨む

復讐すら考え実行する可能性もある

が、それは感情論であって事件そのもの、犯人に対する恨みであって、問題として捉えてるわけではない

もし被害者の意識が最も大切で重要視されなければならないことなら、今の裁判制度にも問題を同じように捉えなければならない

裁判で被害者の求刑が100%通らないこと自体は明らかに「被害者の気持ち」とは別にある

また、「この事件の犯人に対してだけ言ってる」という意見もあるが、犯人は死んでいる

そもそも「1人で死ね」という意見からは犯人に対してだけ言ってるとは受け取りにくい

俺はこんな意見が世の中にいわゆる正論として受け入れられていることが余りにも冷たく感じる

誰も孤独になりたくて孤独になるわけではない

仕方なく、どうしようもなくなる

それは本人の障害だったり、甘えだったりもするだろう

もしくは避けられない家庭環境の問題など色々あると思う

ただ大切なのは、社会というものを構成し、そこで人々が上手く生きていこうとする共同体の中で孤独な人間がいるのに対して「甘え」だの「自己責任」などは全く意味のない意見だと思う

孤独であるという一点

それ一点だけで間違ってると思う

誰かが手を差し伸べてやらないといけない

それが共同体であり、目指すべき社会だと思う

俺は他人と違う

身分も、見た目も、経験も、思想も

彼が俺を孤独という気持ちから救ってくれた

今もまた俺は孤独だけど、彼が居てくれた経験はとても大事な経験で、俺自身の人格形成に大きく良い影響として関わってる

だれも孤独であってはいけないと俺は思う

人に大切にされた経験は、人を大切に扱えるようになることに深く関わってる

命もまた同じだと思う

誰かがその人を大切にしたよう、その人はまた誰かを大切にする

今日出会う誰かもどこかに孤独を抱えてるかもしれない

だからこそ優しくしなきゃならないし、寄り添わなきゃいけない

愛を忘れてはいけないと俺は思う

 

245

最近あんまり書かなくなった

半分というか、ほとんど諦めの気持ちが大きい

リアルで言えないからネットで言えば

もしかしたら誰がどうやってか救ってくれると思ってた

けど、そんなことは無かった

実際リアルでもそんなことは無かった

この悲しみから、この孤独から誰が救ってくれると思ってた

手を伸ばせば手を取ってくれる人がいると思ってた

けど、そうでは無かった

当たり前ではあるけどね

彼が死んでしまったことは僕にとってはとても大きなことで、本当に大きいことで、そればかりになってしまった

けど、世界や他人からしたら小さなことの一つだった

そんな当たり前のことが僕はわかっていなかった

自分が救われる方法もわからない

正直、死ぬのが早いとは思うけど、死ぬわけにもいかない

ただ生きることしか出来ない

もはや人間ではないと自分で思う

悲しみと孤独がある

けど、手を取ってくれる人がいると思ってもいたが、実際手を伸ばしてくれてる人や、くれた人の手を取らなかった部分もある

ツイッターで死別界隈の人は僕にDMを送って来てくれたりしたけど、僕は何を話せばいいかわからず、相変わらず「気軽に連絡してくださいね」と言われても何も連絡しないままだ

もうほんとは自分は何も思ってないんではないか?と思って自己嫌悪になることもある

彼には色んなことをLINEで送っていた

その中でも僕は「やっぱこの話は会って話したいな」みたいな話もあった

それを僕はLINEで言わなかったりした

余りにも時間が経ちすぎて、それがなんだったか忘れてしまったことが何度もあった

それが悲しかった

今もそれと同じだと思う

そういうのは口に出さなくて忘れてしまったように思うけど、僕の中でシコリとなって固まってしまって

溶けなくなってしまう

たぶんみんなそうだと思う

もうすぐ1年経つ

もう戻れなくなってるのだろうと僕は思う

244

最近は一周忌が近くなってきて

もう日にちも決まってて

それで現実逃避のためにゲームやり続けてる

寝ても起きてもゲームしてる

親はかなり不満そうだけどね

全部言いたくなるときあるけどね

10年も愛してたこととか、今も愛してることとか、社会復帰目前だったこととか、現実逃避しないと辛いこととか、もう二度と立ち上がれないかもしれないこととか、普通にしてるけど普通にしてるからこそ溝があることとか、どうすればいいかわかんないこととか、一周忌近くて辛いこととか、全然そういうことをわかってないこととか、四六時中同じこと考えてて他のこと考えてないこととか

他にもたくさんある

言わないんだけどね

リアルでこの話した人は1人だったけど疎遠になってしまった

疎遠になったというのもおかしいけど、以前発狂とまでは言わないけど、色々長文で送りあってたけど、結局返事来なくなってしまった

まあ忘れてるか、返事することがなかったとかかもしれないけどね

それでもやっぱ思うところはある

X君は僕からブロックしたしね

誕生日は結局行けないままだった

だから一周忌に一緒にお祝いというか、ちゃんと「おめでとう」って言おうと思ってる

最後の最後で初めて「おめでとう」って言わなかった

最後の誕生日だったのに

くだらない意地というか、考えみたいなので言わなかったのずっと後悔してる

自分もたくさんの痛みを味わった

悲しみも辛さも孤独も

だから、誕生日最後言わなかったのは許してほしい

ちゃんとごめんって言わないとね

愛してるのに

結局片想いは11年目になった

あっという間だった

辛いことずっと抱えた1年だった

ゲームしかしてない1年だった

何もしてあげられない10年にまた1年重ねてしまった

もう死にたいとも思う

ただ生きなきゃいけないのもわかる

板挟みだよね

生きる希望や勇気や術を教えてくれたのに何もできない

申し訳無く思う

243(ゆたぼんについて)

珍しくたまには別のこと書こうかな?と思ってたらちょうど不登校YouTuberの話題があったからそれについて書こうと思う

ツイッターとか見てたらほとんどの人が「学校に行け!」って書いてて、13歳くらいの中学生が顔出しして、そういうことについて言ってたのが1万RT以上されてた

その子が言うには「学校は人を学ぶ場所」と言ってた

「その後にYouTuberすればいいじゃないか?」と言ってた

僕はこの言い分が全部間違ってるとは思わない

半分くらいは正しいと思う

ただ、この子は幼いからまだ知らないと思うけど、世の中どーしようもないやつって結構いるんよね

ゆたぼんとかいう子は宿題が嫌だからみたいな理由だとか見たけど(詳細は知らない)

実際そんな人なんか普通にいるし、もっと言えば学校に行きたく無いけど、それを上手く言語化出来ないし、学校が苦痛という人も普通にそこらへんに溢れてる

学校は人を学ぶ場所とは言うけど、結局ある程度均一な人間しかいないのが学校だと思う

だからと言って、僕は「学校に行くな!」とは思わないけどね

30数人の1クラスにどれだけの多様性が存在するか?ということをもっと認識してほしい

その中には当然LGBTもいるし、目には見えない障害を持った人もいる、変わり者もいるし、当然学校に行かない奴もいる

僕はそれが悪いとは思わない

そんな人がいて当然なのだ

学校行かないでYouTuberやってるやつがいて当然なのだ

みんながみんな「人間を知るため」「勉強のため」と思い学校に行けるわけではない

おそらく、ゆたぼんに「学校に行け!」と言ってる奴らに

「じゃ学校でいじめられてる子も学校に無理に行かなきゃいけないの?」と聞くと

「それは違う!そんな時は行かないでいい!」と言うと思う

しかし、そんなことがまかり通る世の中でないことをわかって欲しい

「学校に行かなければダメになる」という風潮を作り出すことが、無理矢理学校に行かせるということに気づいてほしい

子供たちもバカじゃないから世間の風潮くらいは気付く「あぁ、学校に行かなければならない」という暗く辛いことを無理矢理させることになるし、親なら尚更「この子を学校に行かせなければならない」と思うだろう

それが子供の自殺や暗い過去を作り出すと思う

正直、もう時代は変わった

インターネットがあり、どこでも人と繋がれる

僕もその1人だ

辛い過去を持ち、部屋から出たくはないが人との関わりは持ちたい

そんな人間だ

それでいいと思う

今は選択肢が幅広くあり、それを多くの人に享受させたり、存在を知らせることが大切だと思う

僕は学校教育は大切だと思う

6年間ほぼ小学校に行かなかったけど、取り戻すのに物凄い苦労があった

だからせめて、教育は学校以外でも受けれるようにすべきだと思う

部屋の中からでも教育を受けられるシステムが大切だと思う

僕はゆたぼんの議論からそういう風に発展して欲しかった

僕が小学校に行かなかったのは当時は言語化出来るようなものではなかった

けど、今表現するとするなら「馴染めない」だ

色んな部分で無意識に人との壁を感じてそれに疲れてたんだと思う

それは僕は大人になってわかった

不登校していたことも大切な経験だと僕は思う

このような発想に至るのもその1つでもある

「学校だけが全てではない!」「学校に行かなくても新しい生き方がある!」「学校に行かないから落ちこぼれではない!」ということを僕は多くの人に知ってほしい

そして社会そのものはそれを補助しなきゃならないと思う

みんながみんな揃いもそろって学校に行って、人に上手く合わせて生きていく

それは理想だけど、世の中そんなに上手く出来てない

だからそういう人も上手く自分の世界で生きていけるような、社会に溶け込める機会があるようなそんな社会になってほしいと思った。

242

今日もなにもなかった

今日は1人の時間長くてずっと似たようなことばかり考えてて辛い

頭が痛いもんね

書くか迷ったけど、その間K君の誕生日だった

誕生日にほんとはお参り行きたかったけど、家族の都合が悪かったらしくていけなかった

都合が合う時に連絡くれるってことになった

だから、心の中で祝った

あと今度渡す用に手紙も書いた

最後の誕生日に祝ってあげられなかった

ずっと誕生日おめでとうって絶対ラインとかメールで言ってたんだけど、最後のときだけ言わなかった

言わなかったら少し寂しがってくれるかな?と思ったりしたし、前に自分の誕生日の時におめでとう言って言ってってワガママ言ったんだけど、その時に「そんな歳じゃない」って言われたから、そんな気がして最後だけ言わなかった

最後だったのに

わからないから仕方なかったけど

だから誰にも言わなかった

この一年誰の誕生日も祝ってない

そういうタイミングもほとんどなかったけど、それでもそれだけ守り通すのがどれほどの重荷だったか

どれほどの後悔を人の誕生日の中に見たか

ほんとに最後言っておけばよかった

手紙には生まれてきてありがとうって書いた

本当は家族にも産んで育ててくれてありがとうございますって言いたいけど、それは重いかな?と思って言えてない

本当にこの世界に生まれてきて感謝してる

そしてこんな自分の隣にいてくれて、愛させてくれて、愛することの大切さや、難しさ、暖かさを教えてくれて本当に感謝してる

心から愛してる

もうずっと部屋に引きこもってくだらない毎日を送ってるけど

それでも想い続けてる

本当に愛してる

ありがとう

241

最近おばあちゃんの家にいて生活リズムめちゃくちゃで書けなかった

なんかちゃんと寝るってことがなくて、ずっと何回かに睡眠分けてるみたいな感じ

最近少しずつ1人でも過ごせるようになった

けどやっぱ何かしとかないと辛いけどね

行きは新幹線だったけど、新幹線の中とかやることなさすぎてずっと考え込んでて泣きそうになった

やっぱ何かしときたい

結局ゲームしてる時も1人のときとかずっと考えてしまうんだけどね

youtube見てるときとかも

朝起きた瞬間から毎日「あぁ俺はもう幸せだとかそういうことは一生ないだろう」と思う

たぶんこのまま惨めにいきていくと思う

もうなんも出来る気がしないもんね

ほんと惨めだと思う

周りに助けて欲しいとも言えないしね

ただ黙って日々に耐えるだけ